ISAO STORYをもう一度~なんで高次脳機能障害になったん?~【4】
2019年09月28日
おはようございます☼
今日は土曜日
一週間が光のように早く過ぎます💦
今週は特にかなぁ~
でも高次脳のいっちゃんのペースを守ること
それは何があっても
第一優先
にやっています。
脳も体も疲れやすい…想像以上にですよ
だから休憩は大事!!でも休憩ばかりはダメ!!
その加減にいつも迷う私です。
さてさて、ISAO STORY続きです!!
ISAO STORY〜今を生きる〜④病気編
そんないっちゃんが
職場内で倒れたのが年末の締日
2007年12月28日です。
年末で原因がわかるまで2週間以上かかり、その原因が分かった時点で命の保証はないといわれ
阪大から国立循環器病センターに送られました。
検査が進むにつれ事の重大さがひしひしと理解できて来て
不安でしたね😨
そのとき息子大学受験真っ最中、
年末からずっと佑香ちゃんと2人で病院へ通って遼くんには隠していたけど、
さすがに隠し切れず
センター試験終わった当日、
2時間かけて国順に来てもらいました。
意識混濁のパパに「パパセンター9割7分行けたで」と報告すると、
意識混濁のはずのパパが遼君の頭をヨシヨシしたの覚えてます😭😭
それから数日してドクターに呼ばれご主人は全国的にもレアなケースで症例がない。
治療法はなくこのままでは数日中に・・・
手術も前例がなく極めて難しい、
成功する確率は0.1%、
99.9%は助かりません。
そして0.1%で助かったとしても全盲寝たきりの植物状態になる
可能性が高いだろうと宣告を受けました。
ショックでしたね。どうやって家まで帰ったか覚えてません。
私に選ぶなんてできない。
忘れもしません。
予備校帰りの息子を迎えに行った
住道駅のローターリーで
「遼君パパがなぁ・・・」
「ママはどうしていいかわからへん」
遼くんは遠くを見てしばらく沈黙が続き……
そして深く息をして、
「手術するに決まってるやん。
このままやったら冷たくなるんやろ……
寝たきりになっても
目が見えなくても
僕は暖かいパパがいてくれるだけでいいから
手術しよう」
その一言で手術することにしました。
18歳の遼君 君は偉い!
ISAO STORYには年末のことをサラッと書きましたが
今度出版される本には何があったのかを
詳しく書きました。辛く悲しい事実です(´;ω;`)ウッ…
あれから12年
遼君の決断のおがけで
いっちゃんは今生きていられる💛
素敵な週末を💛