いっちゃんはビリビリマンー「高次脳障がい」なオットと私の日々ー【6,7】
2019年10月03日
おはようございます🌞
さわやかな朝ですね!!
最近は早起きして
一番に洗濯を回し(しっかり主婦です)
お祈りをして…アッ無宗教ですが
毎朝、太陽に向かって感謝をしています
ありがとうございます💛って
そしてお白湯をいただきながら
ブログを書くのが日課です。
今日は皆さまに本の表紙をご紹介できます!!
うまく画像が貼り付けられたら…ですが( ̄m ̄〃)ぷぷっ!
そしてその本の元となったISAO STORY続きです
ISAO STORY〜今を生きる〜⑥
︎雪だるまと両手にオムツ
国立循環器病研究センター(国循)に転院してICUに入ってた時期は遼君と佑香と3人でたった数分の見舞いに通いましたね。
佑香とパジャマにパパ頑張ってって刺繍して、毎日毎日・・・でも必ず治ると信じて通いました。
手術の日佑香が担当の佐藤先生に手紙を渡したようで、
あんな手紙をもらったのは初めてだと言われていました。
患者さんはどなたもみんな一緒、ドクターは必至で助けようとしいる、でも佑香さんの手紙は心に響きました。スタッフみんなの前で読んでから手術に入りましたと
手術が終わってから聞きました。
佑香はほんとにずっと当初からの事を知っているので随分泣いたし小さな胸を痛めたと思います。
佑香曰く
当時の悲しく苦しい思いは箱に入れてぐるぐる巻きにして心の奥のわからんとこに鍵かけて封印してるそうです。
今でも思い出すのは手術後のパパ、前例のない大手術、負担を最大限軽くするために
チューブにいっぱい繋がれ寝かされていました。
顔が青白く死んでいるみたいでもちろん動かへんし、思い出すと今でも胸が苦しくなりますね。
だからたとえ介護がしんどくても
あったかいいっちゃんが隣にいてくれると私達は安心するんですよ。
手術がうまくいったと聞いて、また能天気な私はすっかり元気になると、奇跡は起こったと思い込んでいました。
高次脳機能障害という言葉すら知らんほんま天然でした。
一般病棟になって、
国循の面会時間は
13時から20時、20時になると
一人でおいて帰るのが忍びなくて
カセットに家族の声やパパの好きそうな歌を録音してずっと流してもらうように頼みました。
私達が部屋にいて
そして音楽をかけていたとき、
意識のなかったいっちゃんが口パクしたんです!!
オリビアを聞きながらでした。
私も佑香も大喜び希望が見えた瞬間でした。
そこからボールを握らせたり
話しかけたり、
きっとよくなると信じて佑香と通いつめました。
遼くんも緑地公園の予備校からいつも来てくれました。
ちょうど今頃2月の事、
雪が降った日があって、
いっちゃんに見せようと佑香と雪だるま作ってたら
お子さんですか?と声をかけられたことがありました。
佑香がいいえパパですと答えてましたがどんなに辛かったと思います。
私はあかんたれのよわっちいママやから、佑香が当時どんなに悲しかったか慮る余裕はなかったですね。
ただ、学校帰りに電車を乗り継いで北千里の駅から両手にオムツを買って持って歩いてきた姿には・・・今でも涙です
ISAO STORY〜今を生きる〜⑦
︎えっ?重度すぎてリハビリうけられへんの?
急性期の病院を退院する時期が来て
そこでようやく主人って?って思う事件がありました。
こちらが望めば治療が自由に受けられると思い込んでた私達には
衝撃的な事件でしたね
たまたま見たテレビでうちの家から割方近くでリハビリがすごく有名な
病院の事が特集されてたんです。
ここや〜〜
リハビリ入院をさせてもらえると思い込んで翌朝一番に電話をしましたが、
門前払いで………
重度の受け入れはないって
いくら頼んでもシャットアウト、
診察すらしてもらえない。受付の電話でアウトそんなあほな
診る前に門前払いって門の前にも行けてないやん⤵️
あんたとこ、
もう治る見込みありません。って言われた気分で、
電話のお姉さんに
あなた、自分のお父さんでも同じ事言いますか?って
泣きながら言ってしまってました。
でもダメなものはダメ。
さすがの能天気ママもへこみましたね
うちのいっちゃん、リハビリ入院の受け入れ先無いぐらい重度なん?
悔しくて悔しくて本気で泣いたのを覚えています。
そんな時
関西リハビリテーション病院の先生が面接してくださることになったんです‼️
診て下さるだけでも嬉しいかったですね〜〜
その後引き受けてあげると言ってくださって、本当に嬉しかったです。
そしてホッとしたのも事実です。
私は今でもその先生の事を助けの神と思っています。
大丈夫、引き受けるよってあの時の先生の優しい目が今でも忘れられません。
〜 to be continued〜
今日も素敵な一日を💛